小金井かいわい代表が、実家の草刈りに挑戦しました。
親の介護が終わって、空き家となった実家を守るために奮闘中です。
遠距離介護中の記事も書いていますので読んでくださいね!(カテゴリーの「介護体験」からまとめて読むことができます)
小金井かいわい代表が、実家の草刈りに挑戦しました。
親の介護が終わって、空き家となった実家を守るために奮闘中です。
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このスタッフブログに時々登場しているうちの父がとうとう(?)100歳になりました。
ありがたいことに頭はしっかりしていますが、体のほうはさすがに自由がきかず、家の中でも歩行器を使っています。
そんな父に、市からのお祝いの品が届きました。小さな記念品と商品券が入っていました。
それを見た父がどうしても商品券で買いたいものがあると言います。
それは「チェーンソー」
ちょっと待って! 100歳なんだよ? どう考えても危ないんじゃないの?
という娘の声を無視して一人で買い物に行こうとするので、
仕方なく車でホームセンターに連れて行き、小型のチェーンソーを購入しました。
昔使っていたのは知ってるけどね、もうひとりで使ったらだめだよ? 絶対誰かいるときに一緒に使ってね!
という娘の声はまた無視されて、気が付いたら庭の木が一本、丸裸になっていました。
これで気が済んだかなと、庭に放置されたチェーンソーを玄関に入れ、次の日は箱に入れてリビングに置き、1週間後には父の目に触れないところに移動。
そろそろその存在を忘れてくれたかなと期待しているところです。
市のご担当者様、お祝いはありがたいですが、モノだけでいいです… 制御が難しいやんちゃな年寄りもおりますゆえ(笑)

(KAZ)
ここまで遠距離介護について書いてきましたが、今回が一応の最終回(?)になります。
父はその後どうなったかといいますと、がんの手術は成功したものの、やはり一人暮らしは無理なので、退院後は病院に近い有料老人ホームへ入所しました。
このホームが家から遠い上に、費用もかさむので、何とかしたいと思っていたのですが、そこでまたケアマネージャーが奮闘してくれ、ほどなく母と同じ介護老人保健施設への入所がかないました。
ここでも、介護事業にかかわる身としては、東京だったらこんなにうまくいっただろうか…と思わずにはいられませんでした。
田舎の濃密な人間関係は、一方では排他的とも言えますが、親しい間ではどこまでも親切。とにかく皆がよってたかって心配してくれ、何とかしてあげようとひたすら尽力してくれるのです。
今、私は家からスマホで実家の家電を動かし、たまに帰省して両親に会いに行く、という落ち着いた生活になっています。
公的なサービスの枠を越えた「おせっかい」に、何度も救われた遠距離介護でしたから、近所の方にもケアマネやヘルパーさんにも、どれだけ感謝してもしきれません。
そしてわが身を振り返ると、都会の介護事業者としてはやはりできることとできないことがあるものの、気持ちだけは「おせっかい力」を忘れないようにしようと思っています。
両親を支えてくれた地域の方たちに感謝を込めて。
かいわいスタッフが経験した遠距離介護について、今回は番外編で「庭をどうしたらいいんだろう?」問題のその後を報告します。
夏の間に雑草が伸び放題だった庭ですが、暑さが一段落したところで手入れをすることにしました。
まずは父親が元気なときに敷いていた古い防草シートの上に、新しいシートを敷きました。

夏の雑草が生い茂っていて、写真の状態までもってくるのが一番大変でした。
次は植木のあるゾーン。ここは防草シートも敷きづらいし除草剤も撒けないので、段ボールマルチに挑戦してみました。
段ボールの上にのせるのは…
ウッドチップはないので、自家製の枝チップ(?)作りにチャレンジしました。
夏の間に剪定しておいた樒の枝を使います。

手の力でパキパキ折れる程度の細さのものをペール缶に集めて、ポールバリカンでさらに砕いていきます。

今回の標的はここ。
玄関前の植木部分で母親が一番手入れしてた部分であります。

段ボールを敷き詰め(すきまだらけだ…)、その上に自作枝チップを載せていきます。

ばらまいて延ばしてはみるものの…

全然足りないではないか!

急遽、夏に草刈したまま固めてあった草たちを樒畑から回収して残りの部分にかぶせることにしました。

ぎりぎり段ボールを隠すことはできたようです。

この後枝チップを増産し、さらにこの上にかぶせました。(完成形は写真を撮り忘れましたが)
実家をどう管理するかは、遠隔介護につきものの問題かと思います。何かのご参考になれば幸いです。
2025年がスタートしました。皆様本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
さて、遠隔介護体験記の続きです。
老々介護が続けられなくなったところで、またまたケアマネージャーの尽力で、母は緊急ショートステイでお世話になった施設にそのまま入所できることになりました。
父は入院が長引いていたので、月に一度の帰省は、誰もいない実家の片づけが主な仕事でした。
余談にはなりますが、「ただいま」と言って家に帰るのに、誰にも「おかえり」と言ってもらえないのは、なかなか寂しいものですね。今まで実家には親がいるのが当たり前と思っていたことに、今更ながら気付いたのでした。
しかしそんな感傷に長くはひたっておれず、1か月に一度しか換気しない家は、畳にカビが生えてしまって、これは何とかしないと大変なことになると実感しました。
こういうときは小金井かいわいのシステム担当(?)のワザをフル活用。
まずは、家の空気が動かないのが一番の問題点なので、対策のためにスイッチボットを導入しました。これは、インターネットを使って家電や照明などを遠隔操作するための機器です。
そして、家のエアコン4台に加えて、サーキュレーターを6台置き、自分のスマホから遠隔操作で動かせるようにしました。
監視カメラも設置し、いつでもスマホで実家の様子が見えるようにして、定期的にエアコンとサーキュレーターをスイッチオン。1週間に2回はロボット掃除機を作動させて、ほこり&カビ対策も行います。
下記は簡単な家の見取り図とサーキュレーターの場所です。イメージがわきますでしょうか?

ついでながら庭に雑草がはびこらないように、除草剤と防草シートを駆使して、こちらも何とか(決してきれいではありませんが)対応しました。庭についてはまたのちほどお伝えしたいと思いますが、ともあれこれで、実家に行ってもカビや臭いに悩まされなくなりました。大成功!
前回書いたように、父が夜中に救急車を呼んで病院に運ばれてしまいました。老々介護の崩壊です。
母はひとりで生活することはできません。父が救急車に乗ったとき、夜中だというのにケアマネージャーが駆けつけてくれました。ここでも、介護事業者としては業務の逸脱だな…と思ってしまうのですが、公的サービスも地域の助け合いも混然一体という、田舎ならではの習慣に助けられる形になってしまいました。
父はただの腰痛ではなく、がんの転移だったことが判明しました。それを知ったケアマネの尽力で、母はすぐに緊急ショートステイに入所することができました。
このまま父が手術を受けて回復すればまた元通りになると思っていたら、手術は受けたくないとごねはじめ、また壁にぶつかってしまいます。自分だけでは説得できなかったので妹に来てもらいました。援軍を得て父もようやく手術を承諾してくれました。
これで何とかなるかも…と思った矢先、父は急性腎不全を併発し、がんの手術よりそちらの治療を優先することに。父の入院も長期戦になり、もう老々介護に戻るなど望めない状況となりました。
一難去ってまた一難の遠距離介護。続きはまた次号で!
コロナ禍で、老々介護の父母を手伝うこともできなくなったかいわいスタッフS。
人の往来がなくなった分、田舎の結束はますます強くなり、この時期の父母を見守ってくれた近所の方々には本当に感謝しています。
近所の方だけではなく、ケアマネージャーやヘルパーさんたちも、公的サービスの枠を越えて助けてくれました。
東京で介護に携わる事業者としては、ここまでやったらいけないよな~という線を逸脱して助けてくださっていることに、申し訳ないやら、わが身を反省するやら。
それでも、こんなときに東京者が来たら困る、私たちでやるから! というご近所の気概(?)に押されて、息子の私はステイホームならぬステイ東京を続けたのです。
やっとコロナ禍があけた頃、久しぶりに帰省してみると、母の認知症はだいぶ進んでしまっていました。
それに加えて、父の腰痛もひどくなっていました。
そしてとうとう、父の腰痛が耐えられないほどになり、夜中に救急車を呼んで病院に運ばれてしまいました。老々介護の崩壊です…。
続きはまた次号にて。
かいわいスタッフのSです。
コロナ禍の少し前から、遠距離介護を体験してきました。
一段落した今、経験を振り返ってレポートしていきたいと思います。
何回かに分けて投稿しますので、どうぞお付き合いください。
【その1 両親の老々介護】
離れて暮らす両親は、まず母の身体が弱ってきて、少しずつですが認知症の兆しも出てきました。一人息子(私ですが)は1~2か月に一度帰るのがせいっぱいで、母の介護は父にまかせっきりになりました。
父のほうも腰痛をかかえていたので、介護者も体調が万全ではないという、老々介護あるあるという状態でした。
父は母の認知症をあまり理解できず、だんだん自分のことがやれなくなる母を叱り飛ばしたりしていて、息子としてはかなり心配だったのですが…
それでも何とかなっていたのは、近所の結束が強い地域だったからだと思います。良くも悪くも田舎の濃密な人間関係、言い換えれば「おせっかい」が生きている地域で、公的なサービスも使っていたものの、それ以上にご近所さんの力が大きかったのです。
周りの人たちに助けられ、父も母も孤立することなく生活できていました。
そんなときにやってきたのがコロナ禍。
田舎なだけに、東京から息子が来るなんてもってのほか!という雰囲気になって、息子はもう時々の帰省すらできなくなったのでした。
以下、次号(笑)